みなさんは「ソ連」ときくと、なにを思い浮かべますか?
赤い旗やプロパガンダ、「粛清」「亡命」という言葉や空っぽの食料品店など、マイナスのイメージが多いと思います。
「あやしい」「恐ろしい」というイメージを持つのは、いわゆる「西側」でありソ連についてある意味かたよった情報しかなかった私たち日本人にとって当然のことだと思います。
たしかにソ連にはたくさんの「負」の歴史があり、それは旧ソ連国であった東欧やバルト3国の人々にとっても共通したイメージのようです。
しかし「ソ連」はあくまで政治体制。現実にはそこに人々の生活があり、娯楽があったわけですから、どこの国でも日常には楽しいこと、つらいことがあるはずです。
今回はそんな「ソビエト時代のほんわかした思い出」を集めてみました。
まず、サンクトペテルブルク在住の31歳男性。ソ連崩壊は1991年ですから、彼は幼少時代をソビエト連邦で過ごしたことになりますね。
彼はよく、町を歩きながら子供時代にあった食べ物屋さんについてぼやいていました。
揚げたてプィーシュキ(ドーナツ)の店、できたてぺリメニ(ロシア風水餃子)の店、キエフ風カツレツが食べられるスタローバヤ(食堂)・・二言目には「昔のプィーシュキの方が砂糖がたっぷりかかっていておいしかった」「昔のぺリメニの肉は本当においしかった」「だんぜん安かった」・・などなど、ソ連時代を懐かしがります。
当時8歳くらいの子供の思い出ですから、「おいしいもの」「たのしいもの」が強いですよね。
では成人としてソビエト時代を知っている方々の思い出はどうでしょう。
ペンシオネルカ(年金生活のおばあさん)も、基本的に食べ物の質が良かった、ということをよく言っていました。今の冷凍食品やファーストフードはお口にあわないようです。
あとよく言われるのは、「治安がよかった。安心だった。」「泥棒や無職の人がいなかった」
ではなぜ、ソビエト時代の治安がよかったか。
それもこの時代を生きた人々の話から知ることができます。
まず、有名なのは・・。あなたが酔っぱらって道で寝てしまったとしましょう。早朝あなたは警察(酔っ払い専用の場所があったようです)に連れていかれ、頭から冷たい水をざぶざぶかけられます・・。
さらに信じられないのは、ソ連時代のある一時期、仕事に遅刻すると刑務所に入れられる、という決まりがあったことです・・。(正確には3回遅刻すると収容所行き・・)
これは友人のお母様(現在60代)から聞いた話なのですが、その時代コミュナルカといって、ひとつのアパートに数家族が一緒に生活したりしていました。
学校、仕事に遅刻すると刑務所ゆき・・そこで各コミュナルカに必ずいるペンシオネルカ(年金おばあちゃん)が毎朝一番に起き、みんなを起こしていったそうです。
遅刻したぐらいで廊下に立たされた・・と言っているみなさん、よい時代に生まれたものです・・!
あれ?「ほんわかした思い出」を集めるはずが・・。
次回ももう少し、ソビエト時代の生活についてふれてみます。
モスクワ・サンクトペテルブルク8日間
ソビエトを体験する8日間