モスクワ市内にある凱旋門は、中世ロシア軍の武力と忍耐の歴史をそのままに表しています。
前のブログで紹介したとおり、ミーニンとポジャルスキーがモスクワに攻め入ったポーランド軍を撃退した翌1613年、ロシア最後の王朝であり、革命まで300年続くロマノフ王朝の幕が上がりました。その1世紀後の1713年には有名なピョートル大帝が首都機能をモスクワからサンクトペテルブルグへ遷都します。これはロシアという国が出来る前からモスクワに根付いていた大貴族と宗教指導者たちの政治への介入を嫌ってのことでした。ですが貴族たちはこれに反対して遷都に同行せず、モスクワではロシア近代文学で描かれているような煌びやかな貴族文化、商人文化が花開くことになります。
そんな時代にモスクワに攻め入ってきたのが、皆さんご存知ナポレオン。トルストイの『戦争と平和』でも描かれていますよね。
ロシア軍の頑強な抵抗に遭いつつも何とかモスクワに入城したナポレオン軍でしたが、そこにあったのはナポレオンの統治を嫌って人がいなくなったもぬけの殻のモスクワの町。そしてロシア側によるモスクワへの放火によって、渋々モスクワを手放さざるを得ず、その後も”冬将軍”によるトドメが刺されてナポレオンはフランスへと敗走します。
このナポレオンを撃退した”祖国戦争”を記念するためにモスクワ市内に建てられたのがこの黒と黄を基調とした凱旋門。
古代ローマの凱旋門に倣って、ピョートル大帝によって建設されました。元々、トヴェルスカヤ・ザスタヴァ広場にありましたが、その後に取り壊され、1960 年代に今の勝利の広場に復元されました。 近づいて見てみれば、浮き彫りのレリーフの緻密さがよくわかります。
門には、2対の戦士像、勝利の女神の彫刻、王冠を持った女神の乗ったチャリオットがあります。その下の銘板には、当時陸軍元帥であったミハイル・クトゥーゾフ王子の言葉が書かれており、1812 年の戦役で勇敢に戦った人たちを称えています。
モスクワの凱旋門
2017-05-09
