バイカル湖とシベリア鉄道


1904年2月8日、何の日だか分かるでしょうか?
そう、日露戦争が始まった日です。ここから1年半ちかくに渡って両国は陸で海での大戦争を続けることになります。

当時の帝政ロシアは、現在よりもずっと広い国土を持っており、主な兵力は欧州方面にありました。
このことから、少なからずの被害を出した軍隊の補充のための兵力を遠方の極東へと輸送する必要がありました。

ですが、当時モスクワからウラジオストックまでを結ぶシベリア鉄道は工事中。そしてイルクーツクから60kmのところにある長さ640km、世界で最も深いとも言われる水深1600mのバイカル湖が工事を行う上での最大の障害物となりました。
1901年、バイカル湖の区間を除いてシベリア鉄道は一応完成し、日露戦争の最中1904年9月にようやくバイカル湖区間を含めた全線が開通したのです。



バイカル湖の南端を迂回する線路が完成するまでの間、夏はイギリスから購入した蒸気砕氷船”アンガラ”や”バイカル”を使った航路によるもの、冬はバイカル港からバブシュキンのあたりまで湖上に線路を敷いて電車を走らせる、という荒業を行ってまで兵員や物資を輸送しました(何度か機関車の重さに耐え切れず機関車が水没したようですが)。

まず冬季であった当初は砕氷船による航路は使えず、そして氷上に線路をひくための物資も届いたのは開戦してから3週間も後だったとされています。
そのため兵士たちは対岸まで湖上をソリに乗ったり、歩かなけれなりませんでした。といってもバイカル湖は最短でも40km弱であり、しかも2月という厳冬期のシベリアという厳しい気候条件であっても兵士たちは2日間かけて湖上を渡りきったといいます。



この後半年近く掛かって9月25日に正式に迂回路が完成、こうして送られた兵士たちは二〇三高地で有名な旅順港や奉天会戦で日本軍と戦いました。







ロシアエクスプレス
ロシアエクスプレス

  • ロシア
  • イルクーツク
  • 日露戦争
  • シベリア鉄道
  • バイカル湖
  • 歴史