プロイセンの名残のある町カリーニングラード


バルト海に面するカリーニングラードは、その地政学的重要性から極度に軍事化された町です。現在も人口の多くを軍事関係者が占めています。1990年代初めまでは、外国人の立ち入りは完全に禁止されていました。
この町は、かつて代々のプロイセン王が戴冠式を行ったケーニヒスベルクの廃墟の上に建っています。

第二次世界大戦末期、ナチスドイツ軍と赤軍の激しい戦闘が3か月間続き、町はほぼ全壊しました。戦後は大きな「戦利品」として、ソヴィエト・ロシア連邦共和国に編入されました。700年以上この地に住んでいたドイツ人とリトアニア人のほとんどは殺されるかシベリア送りとなり、ソ連各地から送られてきた住民がそっくりそれと入れ替わりました。

現在のカリーニングラードはEU諸国に囲まれた「陸の孤島」という広場にあります。しかしそれを逆手に経済関係を深め、またかつてのケーニヒスベルクの歴史を見直して観光に結び付けようという動きも見え、事実ドイツを中心に投資や観光客は増加しています。

大聖堂
教会の裏に哲学者カントの墓があることで有名です。バラ色の大理石を使った美しい墓で、地元の新婚カップルが花を手向けにくる場所となっています。

地下壕博物館
第二次世界大戦ナチスドイツ軍が使った地下壕が現在博物館となっています。地下壕の部屋は当時のまま保存されています。








ロシアエクスプレス
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