フランスの絶対王政期の懐古的な流行と19世紀頭のナポレオンへの勝利によって沸き立ったナショナリズムとが組み合わさって最高潮を迎えたのがこのロシア・クラシックです。

サンクトペテルブルグ・聖イサアク大聖堂(19世紀前半)
5.折衷様式とネオ・ロシア
19世紀も半ばになってくると西洋から資本主義の大波が押し寄せ、駅など、これまで以上に大きな建築物が必要になり、そして鉄筋などのそれまでにない素材も使われるようになってきました。そしてロシアの古典様式の中に新しい美術的な基準を見出そうとしてさまざまな活動が起こりました。
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モスクワ・救世主ハリストス大聖堂(18世紀前半に建造・20世紀半ばに爆破・2000年に再建)

モスクワ・トレチャコフ美術館(19-20世紀はじめにかけて)
6.ロシア・アヴァンギャルド
ロシア革命によってこれまでとは全く違う価値観がロシアにもたらされ、社会主義的で合理的な建物がどんどん増えていきました。
アヴァンギャルドの中でも、効率的で機能的な単純建築こそが優れているとしたのが構成主義です。
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モスクワ・メーリンコフ亭(20世紀前半)
7.スターリンカ
アヴァンギャルドはスターリンによって終焉を向かえ、再び国家の威容を強調するような建築様式が復活しました。
これによってロシア名物の地下深くに作られた地下鉄駅は、全国から集められた花崗岩や大理石によって豪華に作られることになったのです。
そして今、モスクワ市内で見ることの出来る”スターリンの7姉妹”は、本来はその中心にソビエトの威容を讃える宮殿があるはずでしたが、基礎工事のみで実際に作られることはありませんでした。
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モスクワ・勝利公園駅(20世紀後半)

モスクワ・МГУ(モスクワ大学・20世紀半ば)
そして第二次大戦後にスターリンが死去すると、フルシチョフによって合理性重視で豪華さはなくなった公営住宅が全国に建築されたり(フルシチョフカ)、その規模が少し大きくなったもの(ブレジネフカ)はいまだにロシアでみることができます。ペレストロイカで建築界も西側諸国のレプリカから従来のロシア建築の見直しやその復興なども最近になって始まっています。