コストロマ。黄金の環の一部でもあるこの町では、ロシア国内の”大動乱時代”、つまりリューリク朝の断絶による国内外での政治・軍事の混乱が続くことになり、ロシアそのものが弱った時期があり、コストロマも例に漏れずポーランド軍によって占領された時期もありました。
ですがコストロマのイパティエフ修道院で育った一人の少年が後に初代ロマノフ朝のツァーリとなり、全ロシアが3世紀ぶりの統一を果たしたのです。
そんな歴史もあり、それ以降のロマノフ朝のツァーリたちは最後のニコライ2世まで全員がこの町を訪れ、特段の保護を行ってきました。
1773年の大火事で一旦は荒廃したものの、エカチェリーナ2世の時代に広場から扇状に道が伸びていくように設計され、そのとき再建された建物は保存状態もよく残されています。

上の写真れんが色の壁がかわいいヴァスクレセーニエ教会
周りの古めかしい木造の家々と相まっていい感じです。

そしてここがロマノフ朝はじまりの地、イパティエフ修道院。
十月革命でいかなる目的での使用を禁止されていましたが、近年ようやくロシア正教会へと戻されたそうです。