サハリン観光③~宮沢賢治とサハリン~


さて、サハリン特集も最後となりました。最後は宮沢賢治とサハリン(樺太)についてお話しします。
彼は大正12年(1923年)の 7月31日から8月12日にかけて、宮澤賢治は北海道を経由してサハリン(樺太)まで至る旅をおこないました。に、この旅行の直接の目的は、樺太の王子製紙(工場跡は今でも存在しています。)に勤務している先輩を訪ね、農学校の教え子の就職を依頼するということでしたが、じつは賢治にとってより精神的な部分では、この旅は前年の冬に亡くなった妹・トシの魂の行方を探すための旅だったと言えます。さて彼は、まず汽車で地元の岩手・花巻から青森へ行き、青函連絡船で北海道へ、そこから一路稚内を目指して、その年に運行され始めた樺太と北海道を結ぶ定期航路で大泊へ。そこから当時の鉄道で行ける日本の北の果てであった栄浜に行きついたのです。
この現在よりもずっと時間がかかる旅路で彼は、『宗谷挽歌』や『オホーツク挽歌』など詩集『春と修羅』に収められた多くの詩や童話を書き残し、また彼の代表策である『銀河鉄道の夜』の着想を得たのもこの旅の終着点である栄浜で、だったとも言われています。いまでもスタロドゥプスコエと名前を変え、賢治が訪れた90年前とほぼ変わることなく栄浜は存在しています。もしあなたが宮沢賢治のファンであれば、一度詩集を持って訪れてみるのもいいのではないでしょうか。
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