歴史に翻弄される町、カリーニングラード①


 実はロシアには飛び地があるのをご存知でしょうか。ポーランドとリトアニアの間にあるカリーニングラードがそれで、これはもともと冷戦構造が崩壊してリトアニアが独立した結果、ロシア連邦から離れた飛び地となってしまったのです。

さて、ここで少しこの町の歴史についてご説明します。この町は昔ケーニヒスベルグと呼ばれ、700年もの間プロイセンの支配下にあり、プロイセン王の戴冠式が行われたり、学問の中心地として栄えていました。第一次世界大戦でドイツ帝国と名を変えたプロイセンが敗北、ポーランドが独立したために東プロイセンとして、ドイツからの飛び地となります。そして約30年後の第二次世界大戦では1945年のドイツ二度目の敗北によって、連合国が秘密裏に交わしていた密約通り”勝利品”としてソ連に割譲されてしまいました。ソ連に割譲された後のケーニヒスベルグに住んでいたドイツ・リトアニア系住民は殺されるかシベリア送りにされ、それに代わってソ連の住民が移住してきたのです。第二次世界大戦の戦果をまぬがれた建物以外はソ連式都市計画の下で新しく作られ、そしてソ連崩壊までの間、重要な軍事都市として外国人立ち入りが禁じられてきたこともあってか、過去の建築の復興は最近になってからやっと開始されているという状況があります。

さて、カリーニングラードへの行き方ですが、飛行機であれば、モスクワ・サンクトペテルブルクから1日10便以上が発着し、列車やバスなど行き方はさまざまですが、注意しておきたいのは陸路で移動する場合、ロシアのビザは一回出国してしまうと失効扱いになってしまうので、二次ビザ(ダブルエントリービザ)が必要になります。空港から50分程度バスに揺られると、町の中心部へ到着します。
(次回へ続く)

カリーニングラードに留学することもできます↓
留学プラン







ロシアエクスプレス
ロシアエクスプレス

  • カリーニングラード
  • ロシア
  • 飛び地
  • 観光
  • ケーニヒスベルグ